亀井太鼓・亀井踊りのはじまり
その昔、天正8年頃、亀井茲矩(これのり)公が鹿野の城を守っていたとき、付近には敵対する毛利方に通じた兵主源久が守っていた金剛城(コンコの城)がありました。茲矩公は、金剛城の兵主(ひょうす)源六を攻め滅ぼそうと一策を考え、盆のある日コンコの城のふもとで踊りを催すことになりました。歌舞音曲が好きな兵主源六は、茲矩公の策略とは知らず、歌と踊りに誘われて城を出ました。源六が留守になったことを知った茲矩公は、かねての計画どおり兵を送って、一挙に金剛城に火をつけて攻め落とした、と伝えられています。源六は城へは帰らず、いずことともなく落ちのび、これ以来、金剛城はおどり見の城と呼ばれるようになりました。
亀井踊りはこのときの攻略を讃えて踊られるようになりました。亀井踊りは鳥取県の無形民俗文化財として、現在も踊り継がれています。また、この合戦の様子を太鼓で表現したものが創作太鼓「鹿野亀井太鼓」です。
「鹿野亀井太鼓」の構成
「鹿野亀井太鼓」は3部構成で、- 1部………出陣太鼓
- 2部………亀井踊
- 3部………合戦太鼓となっています。
◇作詞:川崎 恒天
◇指導:岡本 稔
◇監修:中野 潤二